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2008年 12月 15日

白人が見た日韓の違い

開国以前から圧倒的な差の日韓



日本の高い技術に驚く西洋人
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C・P・ツュンベリー『江戸参府随行記』
この国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族の群を抜いている。彼らの鋼や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである。農夫が自分の土地にかける熱心さと、そのすぐれた耕作に費やす労苦は、信じがたいほど大きい。 (pp. 222-223)
工芸は国をあげて非常に盛んである。工芸品のいくつかは完璧なまでに仕上がっており、ヨーロッパの芸術品を凌駕することもある。ただ、一方ではヨーロッパの水準に達しないものがある。日本人は鉄や銅を使って非常に良い仕事をする。絹地や木綿地は、他のインド地域からの生産品より勝ることもあるがほぼ同程度である。漆器製品、それも特に古い物は、これまでにそれを生産した他のどの民族の品にも勝っている。 (p. 287)

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ゴロヴニン『日本幽囚記』
日本人は農業、園藝、漁業、狩獵、絹および綿布の製造、陶磁器および漆器の製作、金屬の研磨については、殆んどヨーロッパ人に劣らない。彼らは礦物の精煉もよく承知して居り、いろいろな金屬製品を非常に巧妙に作っている。指物および轆轤業は日本では完成の域に達している。その上、日本人はあらゆる家庭用品の製造が巧妙である。だから庶民にとつてはこれ以上、開化の必要は少しもないのである。 (下巻, p. 31)
これについて特記すべき點は、日本の銅器が極めて精巧にできてゐることである。われわれは日本で使つてゐた薬罐の丈夫さに何度も驚かされたものである。薬罐は何ケ月も囲爐裏に掛けつぱなしになつてゐても、少しも痛まないのであつた。 (下巻, p. 128)
日本で出来るほどの漆器類はどこに行っても出来はしない――といふことはもうヨーロッパ人も知つてゐる。 (下巻, p. 150)
鋼製品はどうかといふと、日本の大小刀は、おそらくダマスク製を除いて、世界中のあらゆる同種の製品を凌駕している。それは極端な試練に堪へるものである。鋼その他あらゆる金屬の研磨にかけては、日本人は一頭地を抜いてゐる。彼らは金屬の鏡まで作るが、それはガラスの鏡と同様に立派に反射するのである。われわれは日本の指物や大工道具をたびたび見たが、それは丈夫さから云つても、仕上げの美事さから云つても、イギリス製にほとんど劣らない。 (下巻, p. 149)
日本の陶器は支那の陶器より遥かにすぐれてゐる。ただ大變に高價で、全國の需要をみたせない位に僅かしか生産しないので、日本人は支那から澤山の陶器を輸入してゐる。 (下巻, p. 150)

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ヴァリニャーノ『日本巡察記』
日本人の家屋は、板や藁で覆われた木造で、はなはだ清潔でゆとりがあり、技術は精巧である。屋内にはどこもコルクのような畳が敷かれているので、きわめて清潔であり、調和が保たれている。 (p. 6)
彼等は外國人によつて齎された改良を觀察するのが極めて早く、忽ち自らそれを會得し、非常な巧みさと精確さとを以てそれを模するのである。金属に彫刻するのは甚だ巧みであり、金属の肖像を鑄ることもできる。 (1巻, p. 142)
木材及び竹材加工に於て、彼等に優る國民はない。彼等は又世界に優るものなき一つの技術を有している。それは木材製品の漆塗りの技術である。他の諸國民は多年に亙つて、この技術に於て彼らと形を比べようと試みたが成功しなかつた。 (1巻, p. 143)
彼等は磁器を製作してゐるのだし、また或る人の語るところによれば支那人よりももっと立派に製作することができると云ふ。兎に角、吾々が見た日本磁器の見本は甚だ織巧美麗である。但し或る筆者の語るところによると、最良質の粘土が盡きたために、現在では嘗てのやうに立派に製造することができないと云ふ。 (1巻, p. 144)

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M・C・ペリー『日本遠征記』
日本人は極めて勤勉で器用な人民であり、或る製造業について見ると、如何なる国民もそれを凌駕し得ないのである。 (1巻, p. 141)
彼等は外國人によつて齎された改良を觀察するのが極めて早く、忽ち自らそれを會得し、非常な巧みさと精確さとを以てそれを模するのである。金属に彫刻するのは甚だ巧みであり、金属の肖像を鑄ることもできる。 (1巻, p. 142)
木材及び竹材加工に於て、彼等に優る國民はない。彼等は又世界に優るものなき一つの技術を有してゐる。それは木材製品の漆塗りの技術である。他の諸國民は多年に亙つて、この技術に於て彼らと形を比べようと試みたが成功しなかつた。 (1巻, p. 143)
彼等は磁器を製作してゐるのだし、また或る人の語るところによれば支那人よりももっと立派に製作することができると云ふ。兎に角、吾々が見た日本磁器の見本は甚だ織巧美麗である。但し或る筆者の語るところによると、最良質の粘土が盡きたために、現在では嘗てのやうに立派に製造することができないと云ふ。 (1巻, p. 144)
彼等は数学、機械学及び三角法を幾らか知っている。このやうにして彼等は同國の甚だ立派な地図をつくつたのであつた。 (1巻, p. 152)
實際的及び機械的技術に於いて日本人は非常な巧緻を示してゐる。そして彼等の道具の粗末さ、機械に對する知識の不完全を考慮するとき、彼等の手工上の技術の完全なことはすばらしいもののようである。日本の手工業者は世界に於ける如何なる手工業者にも劣らず練達であつて、人民の発明力をもっと自由に發達させるならば日本人は最も成功してゐる工業國民[マニュファクチャ-リング・ネーションズ]に何時までも劣つてはゐないことだらう。他の國民の物質的進歩の成果を學ぶ彼等の好奇心、それを自らの使用にあてる敏速さによつて、これ等人民を他國民との交通から孤立せしめてゐる政府の排外政策の程度が少ないならば、彼等は間もなく最も惠まれたる國々の水準にまで達するだらう。日本人が一度文明世界の過去及び現在の技能を所有したならば、強力な競争者として、将来の機械工業の成功を目指す競争に加わるだろう。 (4巻, pp. 127-128)

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ハリス『日本滞在期』
私は、スチーム(蒸氣)の利用によって世界の情勢が一變したことを語った。日本は鎖國政策を抛棄せねばならなくなるだろう。日本の國民に、その器用さと勤勉さを行使することを許しさえするならば、日本は遠からずして偉大な、強力な國家となるであろう。 (下巻, p. 87)

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オールコック『大君の都』
日本人は、おそらく世界中でもっとも器用な大工であり、指物師であり、桶屋である。かれらの桶・風呂・籠はすべて完全な細工の見本である。 (上巻, p. 375)
物質文明にかんしては、日本人がすべての東洋の国民の最前列に位することは否定しえない。機械設備が劣っており、機械産業や技術にかんする応用科学の知識が貧弱であることをのぞくと、ヨーロッパの国々とも肩を並べることができるといってもよかろう。 (下巻, p. 149)
すべての職人的技術においては、日本人は問題なしにひじょうな優秀さに達している。磁器・青銅製品・絹織り物・漆器・冶金一般や意匠と仕上げの点で精巧な技術をみせている製品にかけては、ヨーロッパの最高の製品に匹敵するのみならず、それぞれの分野においてわれわれが模倣したり、肩を並べることができないような品物を製造することができる、となんのためらいもなしにいえる。 (下巻, p. 177)
漆器については、なにもいう必要はない。この製品の創始者はおそらく日本人であり、アジアでもヨーロッパでもこれに迫るものはいまだかつてなかった。……日本人はきわめてかんたんな方法で、そしてできるだけ時間や金や材料を使わないで、できるだけ大きな結果をえているが、おそらくこういったばあいの驚くべき天才は、日本人のもっとも称賛すべき点であろう。 (下巻, p. 181)
すなわち、かれらの文明は高度の物質文明であり、すべての産業技術は蒸気の力や機械の助けによらずに到達することができるかぎりの完成度を見せている。ほとんど無限にえられる安価な労働力と原料が、蒸気の力や機械をおぎなう多くの利点を与えているように思われる。・・・これに反してかれらがこれまでに到達したものよりもより高度な、そしてよりすぐれた文明を受けいれる能力は、中国人を含む他のいかなる東洋の国民の能力よりも、はるかに大きいものとわたしは考える。 (下巻, p. 201)





欧米人が見た江戸時代日本の世界一の識字率

イギリス外交官の秘書ローレンス・オリファント『エルギン卿遣日使節録』
(岡田章雄訳・新異国叢書9・雄松堂書店、1968年)は、
「子供たちが男女を問わず、またすべての階層を通じて必ず初等学校に送られ、そこで読み書きを学び、また自国の歴史に関するいくらかの知識を与えられる」(p.162)と、当時子どもたちがみな勉強しているので驚いたことが記されています。

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ロシア海軍軍人ゴロウニン『日本幽囚記』 (井上満訳、岩波文庫、1946年)は、
「日本の国民教育については、全体として一国民を他国民と比較すれば、日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である。日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」(p.31)、「しかしこれらの学者は国民を作るものではない。だから国民全体を採るならば、日本人はヨーロッパの下層階級よりも物事に関しすぐれた理解をもってゐるのである」(p.225)と、非常に高い評価が記されています。

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アメリカ人のラナルド・マクドナルド『マクドナルド「日本回想記」-インディアンの見た幕末の日本-』(村上直次郎編・富田虎男訳訂、刀水書房、1981年)には、
「日本人のすべての人-最上層から最下層まであらゆる階級の男、女、子供-は、紙と筆と墨を携帯しているか、肌身離さずもっている。すべての人が読み書きの教育をうけている。また、下級階級の人びとさえも書く習慣があり、手紙による意思伝達は、わが国におけるよりも広くおこなわれている」(p.124)と、文書社会の到達点が記されています。

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黒船で有名なペリーの『ぺルリ提督日本遠征記』 (土屋秀雄・玉城肇訳、岩波文庫、1955年)は、
本が安く大量に売られていることを驚き、「教育は同帝国至る所に普及して居り」(p.140)と、教育の普及ぶりを評価しています。

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プロイセンの画家ハイネ『ハイネ世界就航日本への旅』 (中井晶夫訳、新異国叢書第Ⅱ期2、雄松堂書店、1983年)は、
子どもたちがしっかりと男女ともに小学校に入って勉強し、読み書きと祖国の歴史を教わっていると書いています。

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スイスの全権主任アンベール『アンベール幕末日本図絵』 上巻(高橋邦太郎訳、新異国叢書14、雄松堂書店、1969年)は、
「成年に達した男女とも、読み書き、数の勘定ができる」(p.88)と、驚いています。

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イギリスの初代駐日公使オールコック『大君の都』 (山口光朔訳、岩波文庫、1962年)は、
「日本では教育はおそらくヨーロッパの大半の国々が自慢できる以上に、よくゆきわたっている」と述べています。

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遺跡発掘で有名なドイツのシュリーマン『日本中国旅行記』 (藤川徹訳、新異国叢書第Ⅱ輯6、雄松堂書店、1982年)は、
旅行で来日したさい、「日本には、少なくとも日本文字と中国文字で構成されている自国語を読み書きできない男女はいない」(p.114)と記しています。

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彼等外国人の感想は一部誇張的表現もみられますが、全体を通して当時の日本の教育が発達していたことが記されています。当時の先進国から来た人々は、野蛮な日本と思って来て驚いたのだと思いますが、その驚きを素直に書いているわけです。
江戸後期から幕末期、日本の教育は来日外国人を驚かすのに十分の水準であったといえます。
18世紀の識字率はロンドンが20%程度パリが10%未満江戸が70%以上と言われています。
こんなところも日本がアジアでも近代化出来た希少な国である理由がありますね。
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韓国の低い技術に驚く西洋人

フランツ・フォン・シーボルト『日本』フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(尾崎賢治訳)『日本・第五巻』雄松堂出版, 1978.
朝鮮の工業技術は隣国の中国や日本と比べてずっと遅れているように思う。木工は断然といってよいほど遅れており、陶磁器の作りはひどく粗末である。鉄器、特に刀その他の刃物は価値が低い。

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シャルル・ダレ『朝鮮事情』シャルル・ダレ(金容権訳)『朝鮮事情』東洋文庫367, 平凡社, 1979.

韓国人は、科学研究の分野においてほとんど進歩のあとを見せていないが、産業の知識においては、なおさら遅れている。この国では、数世紀もの間、有用な技術はまったく進歩していない。 (p. 309)

アジアの北東部から日増しに侵略の歩を進めているロシア人によって、いずれその難関は突破されるだろう。一八六〇年〔北京条約のこと〕から、彼らの領土は朝鮮と隣接するようになり、これら二国間で、国境問題と通商問題に関してさまざまな難問が起こった。これらの問題は、今後も間違いなく繰り返されるであろうし、いつの日にか、朝鮮はロシア領に併合されてしまうであろう。 (p. 323)

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ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』William Elliot Griffis, Corea the Hermit Nation, Kessinger, 2004.

朝鮮の建築はきわめて原始的な状態にある。城郭、要塞、寺院、修道院および公共建築は、日本や中国の壮麗さにまるで及ばない。この国は古い歴史を誇っているのに、石造の遺跡がほとんどない。住居は瓦葺きか藁葺きで、ほとんど例外なく一階建てである。小都市では規則的な通りに配置されておらず、あちこちに散在している。大都市や首都でも、通りは狭くて曲がりくねっている。(p. 262)

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イザベラ・バード(林尚得訳)『朝鮮奥地紀行』平凡社, 1993年

二十五万人と見積もられている人びとが「地べた」、主として迷路のような路地で暮らしている。その路地の多くは、荷を積んだ二頭の雄牛が通れないほど狭い。実にやっと人ひとりが、荷を積んだ雄牛一頭を通せる広さしか無い。さらに立ち並んでいるひどくむさくるしい家々や、その家が出す固体や液状の廃物を受け入れる緑色のぬるぬるしたどぶと、そしてその汚れた臭い縁によって一層狭められている。(1巻, 71-72頁)

それにも拘わらず、ソウルには美術の対象になるものが何も無く、古代の遺物ははなはだ少ない。公衆用の庭園も無く、行幸の稀有な一件を除けば見せものも無い。劇場も無い。ソウルは他国の都市が持っている魅力をまるで欠いている。ソウルには古い時代の廃墟も無く、図書館も無く、文学も無い。しまいには、他には見出せないほどの宗教に対する無関心から、ソウルは寺院無しの状態で放置されている。1巻, 106-107頁)

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W・R・カールズ『朝鮮風物誌』

われわれはすぐに、日本家屋が立ち並ぶ一帯を通り抜けることになった。これらの日本家屋は、最近外国人たちとの商売で大きな利益を上げている小商人たちが建てたものだった。こうした種類の家は、あえて比較するなら、日本領事館のような高級建築と、そこで働きながら仮住まいをする韓国人たちのあばら家の中間程度だった。日本家屋はすべて魅力的な反面、韓国人たちの家は、通風装置がまったくなっておらずにおいがひどい道路の両側に散らばって立つ、草ぶき屋根と土塀の家だった。(p. 28)

ところが平安監司は突然話題を変え、ゴッチェ博士と朝鮮政府の関係や彼の旅行目的について尋ねた。そしてそれと同じように平安道の資源、貿易、人口に対する質問をあげ、私はひどく苦しかった。彼は私の旅行目的に対し警戒している様子で、礼儀にもとることを言い、自分の国のあらゆることを非難した。彼はいかなる貿易の存在も認定するまいとした。彼の言葉によると、大同江もまったく運行に耐えず、鉱山も価値がなく、ほとんど3000年の歴史を持つこの都市には関心に値するものはひとつもなく、陶磁器や青銅等のいかなる商品も購買する価値がないと言った。(p. 120)

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W・F・サンズ『極東回想記』

西方世界の様子や発明品を眺める彼らの様子は、アブラハム時代のイスラエル人が鉄道や電車や複雑なヨーロッパの装置を見るように当惑している。何も理解できず、また理解しようともしない。彼らは「隠者の王国」であり続けることを願っている。(pp. 47-48)

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by fuji_ssss | 2008-12-15 18:31 | japan


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