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2008年 01月 29日

ポーランド

http://shupla.w-jp.net/datas/flash/porland.html
シベリアは長い間、ポーランド独立主義者の流刑の地だった。
1919年、ポーランドはようやく独立を勝ち取ったが、極東に住む十数万人のポーランド人
特に親を失った子供たちは悲惨であった。

せめてこの子供たちだけでも生かして祖国に送り届けたい

その年の9月に「ポーランド救済委員会」が組織されるものの
翌20年春にはポーランドとソビエト・ロシアとの間に戦争が始まり、(1920~1921 ポーランド・ソビエト戦争)
孤児たちをシベリア鉄道で送り返すことは不可能となった。

救済委員会は欧米諸国に救助を求めたが、ことごとく拒否され、
窮余の一策として日本政府に救助を要請することにし外務省を訪れて援助を懇願した。

外務省は日本赤十字社に働きかけ、わずか17日後にはシベリア孤児救済が決定された
独立間もないポーランドとは、まだ外交官の交換もしていない驚くべき即断であった。


シベリア出兵中 (1918~22) の帝国陸軍の支援も得て、決定のわずか2週間後には、56名の孤児第一陣が東京に到着した。
それから、翌21年まで5回にわたり、孤児375名が来日。
さらに22年夏には第二次救済事業として、3回にわけて、390名の孤児が来日した。


日本に到着し、日赤の手厚い保護を受けた孤児たちは、その時の思い出をこう語った

日本に着いてすぐ衣服を熱湯消毒されたこと
支給された浴衣の袖に飴や菓子類をたっぷり入れて貰って感動したこと
特別に痩せていた女の子は、日本人の医者が心配して特別に栄養剤をくれたが、
大変おいしかったので一晩で仲間に全部食べられてしまって悔しかったこと、、

日本出発前には各自に洋服が新調され、さらに航海中の寒さも考慮されて毛糸のチョッキが支給された。
この時も多くの人々が、衣類やおもちゃの贈り物をした。

横浜港から、祖国へ向けて出発する際、幼い孤児たちは、
親身になって世話をした日本人の保母さんとの別れを悲しみ、乗船することを泣いて嫌がった。
埠頭の孤児たちは、「アリガトウ」を繰り返し、「君が代」を斉唱して、幼い感謝の気持ちを表した。

神戸港からの出発も同様で、孤児一人ひとりにバナナと記念の菓子が配られ、
大勢の見送りの人たちは子供たちの幸せを祈りながら、涙ながらに船が見えなくなるまで手を振っていた。

765名の孤児をシベリアから救出した日本の恩をポーランド人は今も忘れない

ヘンリク・サドスキさん
平成11年8月に、ポーランドから「ジェチ・プオツク少年少女舞踊合唱団」が来日した際に託したメッセージ

20世紀の始め、孤児が日本政府によって救われました。
シベリアにいたポーランドの子供は、さまざまな劣悪な条件にありました。

その恐ろしいところから日本に連れて行き、その後、祖国に送り届けてくれました。
親切にしてくれたことを忘れません。
・・・・(合唱団は)
私たちの感謝に満ちた思いを運んでくれるでしょう。
日本のみなさん、ありがとう。

極東委員会副会長(当時) ヤクブケヴィッチ氏

日本人はわがポーランドとは全く縁故の遠い異人種である。
日本はわがポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。
しかも、わが不運なるポーランドの孤児にかくも深く同情を寄せ、
心より憐憫の情を表してくれた以上、われわれポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない。 ・・・

われわれの孤児たちをしばしば見舞いに来てくれた裕福な日本人の子供が、孤児たちの服装の惨めなのを見て、
自分の着ていた最もきれいな衣服を脱いで与えようとしたり、
髪に結ったリボン、櫛、飾り帯、さては指輪までもとってポーランドの子供たちに与えようとした。
こんなことは一度や二度ではない。しばしばあった。・・・

ポーランド国民もまた高尚な国民であるが故に、われわれは何時までも恩を忘れない国民であることを日本人に告げたい。
日本人がポーランドの孤児のために尽くしてくれたことは、ポーランドはもとより米国でも広く知られている。・・・

ここに、ポーランド国民は日本に対し、最も深い尊敬、最も深い感銘、最も深い感恩、最も温かき友情、愛情を持っていることを伝えしたい。

95年10月、兵藤長雄ポーランド大使が8名の孤児を公邸に招待した際の、ある老婦人のコメント

私は生きている間にもう一度日本に行くことが生涯の夢でした。
そして日本の方々に直接お礼を言いたかった。もうそれは叶えられません。
しかし、大使から公邸にお招きいただいたと聞いたとき、這ってでも、伺いたいと思いました。
何故って、ここは小さな日本の領土だって聞きましたもの。
今日、日本の方に私の長年の感謝の気持ちをお伝えできれば、もう思い残すことはありません。


大和心とポーランド魂

"Porland" (New Version) by Zabadak
album "decade"

『善意の架け橋 ポーランド魂とやまと心』兵藤長雄 文芸春秋

Japan On the Globe 国際派日本人養成講座
142 『大和心とポーランド魂』
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog142.html


Flash製作 ドンパ・カンパ・ミトゥ

ポーランド人は親日派

 初めてポーランドを訪れた際、カウンターパートからポーランドの人たちは東郷元帥、乃木大将の名前を知ってますよ、
日本は立派な国ですから日本人と共に仕事が出来るのは大変幸せですと聞かされ仰天した。
ポーランド人がこのように親日感を持っている理由は、
(1) 日露戦争で小さい日本が大きいロシア(ポーランド人が嫌いな国)をダウンさせた。
(2) 日本政府は第一次大戦後にシベリアに流刑されていたたポーランド人の孤児救済要請をポーランド救済委員会から受けた。
日本赤十字は短期間に765名の孤児をウラジオストックから日本へ、また言葉・習慣が違うため孤児付添人65名を本国から招き、孤児たちに付き添わせ病気治療、休養をさせた後、孤児の祖国復帰を実現した。(救済委員会は欧米諸国に同様な救済要請を出したが拒否された)
(3) その後、シベリア孤児はポーランドで成長し、組織「極東青年会」をつくった。
ナチスがポーランドに侵攻した時この青年会はレジスタンス活動に参加、日本大使館は「極東青年会」の活動を三国同盟を楯に幾度となくナチスから擁護した。
(4) 第二次大戦初期にリトアニア領事杉原千畝は本省の不同意を無視し数千人のユダヤ系ポーランド人に通行ビザを発行、ナチスの追及から開放して多くの
人命を救った。  
ポーランドは長い間、近隣諸国から侵略を受けつづけてきた国で、上記のような出来事は友好的な日本の印象をポーランドに与え、その結果として親日派の人たちが多くなったと思われる。


ポーランドwikiの「日本」・・・http://pl.wikipedia.org/wiki/Japonia
印刷プレビュー枚数にして日本41P!

by fuji_ssss | 2008-01-29 00:37 | japan